床の間には掛軸
「如龍得水」 龍の水を得るが如し
「似虎靠山」 虎の山に靠るに似たり
和尚がこの掛軸にまつわるお話をしてくださいました。
私なりの解釈では、
『心は、自由自在!何があっても大丈夫!!』
色々な困難や苦難があったとしても、
心は、悩みや苦しみと受け取ることもできれば、
歓びや希望を見出すこともできる。
坐禅をすることで、自分自身の心を調えていきましょう。
そう言えば、
この萬福寺に初めてご縁をいただいたのは、去年3月に開催された【東日本大震災復興祈願法要】のときでした。庄原市にあった『ひだまりカフェ』さんで偶然、【復興祈願ライブ】のチラシを目にし、隣のテーブルの方が「今からこのライブに行くのよ。あなたもどう」と言われ、カフェのオーナーにも「是非!」と勧められ、その日たまたま行った【復興祈願ライブ】がきっかけで、月に一度の坐禅会に参加するようになったのです。
その後、毎月参加していのですが、昨年秋からお引越しなどもあり、お休みしていました。令和6年が始まり、新年に頂いた和尚からのお手紙には、今年の【復興祈願法要のお知らせ】と一緒にお手紙が入っていました。そのお手紙を読んで、1月14日の座禅会に参加することにしたのです。
新年に頂いた<和尚からのお手紙>ぜひ、ご一読ください。
堅香子(かたかご) 令和6年正月 第83号
新春を迎えて
「牛と人とこの地域(まち)と」
平成25年 (庄原市)口和町に若い夫婦が移住してきました。夫婦は牛を飼い、チーズを作って生活しています。目指すのは「自然循環型」の酪農なのです。牛が山の草を食む。牛のお乳を人が分けてもらい、荒れていた野山が整備される。まさに人と自然とが共生する暮らしなのです。そんな場所を探し求め、たどり着いたのが福島県いわき市でした。地域の人たちの協力を得ながら牧場を整備していきました。夢に向かって一歩ずつ歩んでいたのです。
しかし、その暮らしは一変しました。平成23年3月11日、東日本大震災。原発事故のため、そこでの放牧はできなくなったのです。「安心して食べるものを作りたい」と、新たな土地を探し始めました。そうして、移住したのが口和町だったのです。地域の人達は、夫婦と牛のために土地と家を準備し、快く迎えてくれました。それから、10年、3人の子供にも恵まれ、今では、地域にとって欠かすことのできない存在となっています。
大本山總持寺を開かれた瑩山(けいざん)禅師は、「たとい難値難遇(なんちなんぐう)の事有るも 必ず和合和睦の思いを生ずべし」と示されています。それは、「きわめて困難なことに遭遇したとしても、必ず親しみ睦み合う思いを起こしなさい」という意味です。震災という困難に遇い、原発事故で「フクシマ」というだけで多くの人が誹謗中傷を受けて来ました。そんな時に口和町の人達は、福島からの若い夫婦を快く迎え入れてくれました。これこそ瑩山禅師のお心の実践なのです。 分かち合い、支え合い、思いを重ね合って、人と人との繋がりを深めていく、これを仏教では、「同時」といいます。そして、この夫婦が目指す自然と私達人間とが共に生きる、これこそが大いなる「同時」の生き方なのです。
今年も萬福寺で、東日本大震災復興祈願法要が3月2日(土)にあります。
こちらのチラシの中央辺りに掲載されている「ふくふく牧場」さんが和尚のお手紙にあった福島県いわき市から庄原市口和町に移住、酪農をされているご夫婦です。3月2日には、【チーズ】の販売をされるようです。
新年早々、令和6年元旦に発生した能登半島地震から、2週間が経過しました。
今もなお続く被災された方の困難な状況や地域の被害状況にしっかり目を向けつつ、心を寄せながら、他人ごとではなく、日本全国どこで起こっても不思議ではない地震大国日本に住む私たちは、しっかり備えをするとともに、何があっても、大丈夫!と言えるよう心を日々、調えていきたいものです。
また、自然と人間が共に生きるために、今までのやり方やあり方を見つめ直すことも必要なのではないでしょうか。