かなえ369blog

愛と調和と循環のあふれる世の中を創造する〈愛の伝播士〉かなぴょんのブログです。

人間教育を400年続くものに~陽明学・易学・井口教育論からの学び~

開けポン、かなぴょんと行く369旅はじまるよ~

アロハ~ 7月11日火曜日 夜8時半、パーソナリティーは、

かなぴょんこと「愛の伝播士」大倉かなえです。本日は、東京都江戸川区松本幼稚園 大野正樹園長先生をゲストにお迎えして、お届けします。お楽しみに~

 

この番組は、ご縁応援貢献をテーマに夢ある番組をお届けするゆめのたね放送局広島スタジオからお送りいたします。

 

~前半トーク

 

はい!アロハ〜 アロハ~

大野園長先生と今日は、お届けしていくんですけども、こちらは、どこですかね?

 

福岡県の天神に、います。

 

大野先生は東京の方なのに、私は、広島なのに、なんで福岡にいるんですか?



今日は、本垣内先生の教育に関する「全語り」というイベントで、太宰府にいままで一緒にかなえさんと居たんですね。それから、ラジオの収録ということで天神にやってきました。

 

ガッキーさん(本垣内英人さん)とは、どんな繋がりなんですか?

 

何年前かの出会いかはちょっと忘れてしまったんですけど、NPOヒトの教育の会を立ち上げる時、私も立ち上げから会員にさせて頂いて、幼稚園としての会員だったか、個人としての会員だったか忘れてしまったんですけれども井口先生の生物学的教育論に私もかなり惹かれたところがあって、最初の立ち上げの頃から賛同させて頂いたということですね。仲が深くなったのは、ここ1年、2年です。

 

飲み友達みたいな? でも、ガッキーさん(本垣内英人さん)は、飲めないんですよね?

 

たま〜に、飲みます。

 

どんなお話をされるんですか?

 

「子どもたちを将来どんな日本に居させてあげたいかな」という話が多いかもしれないですね。私にとっては、今、預かっている園児が大きくなった時にどんな日本にしようかなっていうのを微力ながら、そこを考えるのが園長の役目だと思っているので、彼と時には、熱く語らせて頂いています。

 

大野正樹園長先生が教育を考える時に影響を受けた人であったりだとか、こういうお話を皆さんに届けたいなって思われることってどんなことですか?

 

一番、教育に大きな志を持ったきっかけというのが、やはり中江藤樹(なかえとうじゅ)という江戸時代の一人の教育者なんですね。

 

中江藤樹自身を知ったのは、わたしがおそらく中学2年生の頃に、内村鑑三の「代表的日本人」という岩波文庫の薄い本なんですけども、その中に教育者として書かれておりました。その時は、読み飛ばした記憶があるんですけども、大学の1年生、もしくは、2年生の頃の教育哲学だか、教育学部にいたものですから、何かの一つの授業のほんの数分間の間に「中江藤樹」が紹介されたときになぜか、中学生に時に読んだ文庫本の一説がばあっと押し寄せてきまして、そこからかなり「中江藤樹」について調べた結果、これはタダ物ではないことが分かりまして、そのタダ物ではないものを追い求めていったら、おそらく今日本に必要な教育のかなり濃いエッセンスが入っていて、今も実践中。彼には到底及びませんけれども、陽明学というものを考えるきっかけになって今まで来ているというところです。

 

参考までに⇒ 代表的日本人(岩波文庫内村鑑三  https://amzn.asia/d/gmCJtY4



陽明学という学問を(中江藤樹さんが)されていたということですか?

 

朱熹(しゅき)さんという中国の儒者が始めた朱子学王陽明(おうようめい・ワンヤンミン)が始めた陽明学の両方を中江藤樹先生は、理解していたと思います。その中の「陽明学が今の日本には合うだろう」ということで、脱藩して、寺子屋というか、私塾の藤樹書院(とうじゅしょいん)を滋賀県安曇川(あどがわ)市に開きます。(その藤樹書院で)王陽明陽明学を中心に村人たちの教育をしていった結果、安曇川の人達は、みんな笑顔で、みんな優しくて、みんな挨拶がすごいっていうのを400年後の今も、藤樹書院は、すごい素敵な方ばっかりなので、行くといいと思います。

 

そこに行くと、それがわかる?

 

今後の教育が400年続くという希望を得たのも、実は、中江藤樹のお墓参りに行かせて頂いて、今も毎年行っているんですが、今の気づきは、中江藤樹陽明学を極めていくとおそらく教育というものは400年続くものに成り得るんじゃないかなというのは、私の希望の一つですね。

 

陽明学というものを)具体的におしえて頂けますか?

 

私どもの幼稚園で朝礼というものがあるんですけど、朝礼で声をあげて何かを言うというのは、今では、かなり下火というか、そういうことをやっている幼稚園だとか、会社って少ないかもしれないんですけれども、必ず唱えている文言がありまして、それが中江藤樹の「五事を正す」ということなんですね。五個の「コト」漢字は、事件の「事」ですね。

 

中江藤樹の「五事を正す」を毎日唱えさせて頂いています。

五事というのは、何かというと、「ぼう」「げん」「し」「ちょう」「し」の5個なんですね。

「ぼう」は、容貌の「ぼう」姿、形を整えることです。姿、形というのも、ただきれいにするだけではなくて、相手に不快な気持ちをあたえないように身支度を整えましょう。これが容貌の「ぼう」ですね。

「げん」は言葉使い、本当に優しい言葉使いで、ちゃんと言葉で想いを届けましょう。というのが「げん」ですね。

次の「し」というのは、眼差しの「視」視力の「視」ですね。温かくものを視て、温かく人を視るようにしましょう。眼差しの力が「し」ですね。

次が「ちょう」です。「ちょう」は、聴覚の「聴」。よく聴く。相手が何を思っているのか、感じているのかをちゃんと耳を澄ませて聴くようにしましょう。「ちょう」

最後が、「し」が思いやりの「思」思うという字を書いて「し」

「あいけい」の心をもって相手を理解し、思いやりの心を(相手に)かけましょう。「あい」と「けい」というのは、「あい」は、それこそ、かなぴょんのテーマの「愛」

「けい」は「敬う」と書いて「敬」。「愛敬」の2字を中江藤樹先生は、すごく大事にされていました。「愛」と「敬」をもって相手を理解し、ちゃんと理解して、相手に歩み寄ろう。この5つを正しくしておけば、今風の言葉で言うと「人生イージーモード!(笑)」

 

表現しようとしていることは、難しくないですね。でも、これを整えるって、極めようとすると実は、かなり大変なんです。その五事をなんの為に正すのかっていうと、「良知を致す」心を磨く為ですよ。って、中江藤樹は言ってるんですね。「りょうち」というのは、「良い」に「知恵」の「知」で「良知」「良知を致す」もしくは、「良知に至る」っていう風に言っています。

 

この「良知」っていうのは、心の中に「鏡がある」っていう風に仮定してください。鏡っていうのは、比喩です。心の中に鏡をみんな生まれながらにして持っています。(この鏡が)曇っていくことって、日常ありますよね。

 

どっちがお得かな?とか。こっちの方が儲かるんじゃないかな?とか、こうすれば私のこと、良く見せることができるかな?とか、そういうのがおそらく「良知」を曇らせてることなんですね。やっぱり、「鏡」って、ほっとくと、曇っていくから、お手入れをしないと、磨く努力をしないと光らないですよね。これは、日本の神話の三種の神器と重なるんですよ。「剣」と「鏡」と「勾玉(まがたま)」ですよね。なんでこの3つが選ばれたかっていうと、いずれも磨かなきゃ光らないものですね。それと同じで、「良知」も

中江藤樹は、「鏡」という比喩をして、それを磨く作業そのものが大事なんですよ。というのが、「良知を致す」のすごく簡単な説明ですね。その「良知を致す」為に必要なのが、「五事を正す」ということですよ。とおっしゃっていました。

 

幼稚園の頃から、それ(そういう教育)をやっているところは、あまり多くはないような気がするんですが?

 

これは、あまり幼稚園では、

 

子どもに対しては、中江藤樹だとか、(幼稚園の)園庭には、二宮尊徳(にのみやそんとく)の像もあるんですけども、あまりそこまで「教化(きょうか)」として、言葉にしてちゃんと教えてはいないんです。中江藤樹自身は、教化と感化と二つの教え方があるって言っているんですね。教化っていうのは、例えば優しいとはこういう事ですよ、とか、例えば、順番はちゃんと守りましょう、という風に言葉で物事の道理を教えることを教化と言います。もう一つの教え方で感化というものがあります。これは、かっこいい言葉で言うと、背中を見て育つ。先生そのもののしぐさだとか、語り方だとか、先生は、僕に今こういう想いで教えてくれているんじゃないかなとか、感じ取ることですね。先生の生き様、思惟を学び取って感じ取ることが感化と言われているんですけども、ある意味、言葉にするって、野暮ったいじゃないですか。

 

話がすごい飛ぶかもしれないんですけど、今日の本垣内の語りの中で、自殺者数がすごく増えてるっていう話あったでしょ。ただ、おそらく「教化」は、されているんですよ。学校では、命大事ですよ。命ってこの上なく大事なものですから、命を大切に生きましょうね、なんて教育現場では、何度も何度も言ってるんですよ。その結果、あれなんですよ。だけれども、本当に大事な事って、「言挙げせず」っていう言葉があったりだとか、「言わなくてもわかるよね」っていう言葉もあったりだとか。あとは、身振りで示す、とか、生き様で示す、背中を見せて育つっていうのが一つの教育法なんじゃないかなって思います。

 

ただ、それは、感受性って言って、感じる能力がないとおそらくつかみとれない。とは思います。

 

「教える方もそれをつかんでない」ということですか?

 

そうですね。例えば、季節の移り変わりだとか、花が蕾からひらいたねとか、うちの幼稚園では、フルーツが植えてあるんですけど、昨日より、色が変わったねっていうことに気づけない人が、人間の心の機微に感受性を持てるはずがないんですよね。それは、そうとうなお稽古が必要なんだと思います。

 

それには(感受性を養うためには)どんなお稽古が必要なんですか?

 

「みる」力ですね。それは、儒教ではなく、易経、易学の方に(話が)いってしまいますけれども、「けん」の「みる」力と「かん」の「みる」力と二つあります。急に新しい話ができましたね。

 

~後半トーク



後半トークでは、「けん」の「みる」力と「かん」の「みる」力について教えてください。



「けん」の「みる」力と「かん」の「みる」力は、どっちも「みる」っていう字なんですけど、「けん」は「見学」の「見(けん)」で普通の「見る」ですね。「かん」の「みる」っていうのは、「観劇」とか「観察」の「観(かん)」っていうと、わかりやすいですかね。この二つの違いなんですけど、どちらも「る」を送り仮名につけて、「みる」なんですが、全く違う「みかた」なんですね。

 

「見(けん)」の「見る力」は、目に見えるものを見る力。「花が咲いた。」見る力ですよね。「相手が笑っている。泣いている」も、見る力ですよね。それが「見」の見る力なんですね。「観(かん)」の「観る力」というのは、目に見えないものを観る力。

 

(目に見えないものを観る力というと、かなぴょんは、)超能力のことを言っていると思いますか?

 

いや、そうではないような気がします。

 

そうですね。見えないものを観る力っていうと、結構、超能力と間違われそうなんですけど、おそらく「観(かん)」の「観る力」というのは、私も易学を勉強したばかりなんですけれども、

 

例えば、「今は、我が社は冬の時代かもな」とかっていうのは、見えないじゃないですか。でも、感じますよね。逆に言うと、「今は我が社は春の時代かもな」とか、それを感じ取るのが、「観」の「観る力」なんですよね。

 

「きざし」っていうのも、二つの文字があって、今、よく「もえちゃん」っているでしょ。草冠に明るいって書く「萌ちゃん」って書く「萌」に「し」をつけて、「萌し」って書くんですけど、それは、フキノトウが膨らんだからもうすぐ春の萌しだなっていう、目に見える萌しなんですよ。

 

もう一つの「きざし」は、「一兆円!」一兆円あったら、いいですね〜(いいですね〜笑)「兆」という字を書いて、「し」で「兆し」って読むんですよね。「兆(ちょう)」の「兆し」というのは、目に見えないものなんですよね。

 

例えば、通販の会社をやっていたら、お客様から同じようなクレームが2回くらいきた、と言うことは、この後、ちょっと大問題に発展するんじゃないのかなっていうのが「ちょう」の「兆し」なんですよ。

 

コンコンコンコン、トラブルって大きな問題っておそらく急には起こらないんですよ。なんか、来るよ来るよっていうノックがある。その「兆し」

大問題が起こる前のクレームが1件、もう1件、そこで今、ちょっと何とかしなきゃなって気づける「兆し」目に見えない兆しが「ちょう」の「兆し」なんですよね。



そこはね、竹村亞希子(竹村亜希子)さんの本をご覧になるとよろしいかと思います。

 

参考までに⇒ 竹村亞希子 ( 竹村亜希子 ) OFFICIAL WEBSITE (aki-ta.com)



竹村亞希子三という方は、私は対面では、2度ほどお会いしているんですけれども、今まで易経はただの占いだと思っていたんですが、占いではなくて、易経って実は、儒教よりももっと古いものなんですよ。儒教だと孔子さんが今から2400年前から2600年前って言われているんですけれども、その儒教論語の頃には、もう易経っていうのは、「古典だよ」って言われていたんです。その「易経」を50歳とか60歳で学べば、怖いものなしですよって、孔子さんが言っていた本なんですよね。

 

遠くは、占いの本なんだけれども、その「兆し」がちゃんと的確に分かれば怖いものはないよって言うのが、孔子さんがおっしゃっていた事なんですね。まだ、私は理解半分なんで、怖いものがいっぱいあります。

 

それ(易学)は、現代にも生きている?



実は、易学、易経で言っている事っていうのは、「春夏秋冬」を色んな言葉で例えているんですね。例えば、結構、皆さんが大好きな龍のお話「乾為天(けんいてん)」っていうお話だとが、「牝馬(ひんば)」メス馬のお話で、「坤為地(こんいち)」というお話なんですけども、全部例え話なんですよ。今は、こういう時期だから、こういう生き方をしなさいよという64のストーリー、物語があるんですよね。そうすると、こういう風に生きるべきなのかなと、こういう時期の時は、こういう生き方をするべきなんじゃないかなっていうのが必然的に分かっていくんですけど、わたし、そのうちの二つ、三つしか分かっていないのでね。

 

でも、それを学んで、それができるようになるってまあまあハードル高いじゃないですか。

 

そうですね。特に占いだと、結果がすぐにぱっと出るんですよ。易学って占いの本だから、ジャラジャラジャラってやって、駅前とかでやってるじゃないですか。ジャラジャラってやって、64の中から一つを選ぶわけですよね。だけれども、亞希子先生は、「占うっていうのは、最終手段だ」って言われるんですね。「君子は占わずしても分かる」研究して極めちゃえば、今、どこの季節かって分かっちゃう。そうなったら、すごいなあって思って、のんびり勉強しています。

 

なるほど〜。じゃあ、それが身についたら、(私に)教えてください。

 

はい。頑張ります。50年後くらいかな~

 

遅いじゃないですか!

 

そういうエッセンスを自分が取り入れて、教育にも活かしていく?(というお考えですか)

 

そうですね。その季節っていうのに逆らっちゃいけないと思うんですね。私は、易学の細かいことを学んでいるというよりも、易学の考え方そのものがすごく大好きで、「自然に倣え」っていう考え方なんですね。それが、井口教育論にすごい近づいてきた感じで、「自然はこうなっているんだから、そこに逆らってもダメですよ」っていう事。

 

竹村亞希子さんが良く例に出すのが、「冬に種、蒔きますか」って、冬に種蒔いても、芽は出ないんですよ。冬には冬にやる仕事がある。土の中で、目に見えないところで微生物が土をやわしていたり、次の春の為に準備をして整えている。そして、春に種を蒔くから、夏に育って、秋には収穫を迎える。だけど、人間って、冬が嫌じゃないですか。かといって、人為的に冬を削ることってできないですよね。やっぱり、冬みたいに、力を蓄えている時期があるから春には芽生えて、っていう時期があるので。頭で考えないで、自然はその通りになっているんだから、自然に学びなさいっていうのが「易」の大原則なんですよ。

 

でも、今の時代って自然が近くにないから、学びにくいじゃないですか?

 

でも、人体が自然でしょ!そこを結構、皆さん、忘れてる方が多くて、特に「腸」なんかは、すごく自然なんですよ。「脳」ってすごく私は、勝手だなって思うんですよ。儲けたいとかね、欲の方にいっちゃったりとか、楽したいな〜とか、稼ぎたいな〜とか。

 

本当に井口先生に言わせると「良く生きる」のではなくて、「うまく生きる」のを加速させちゃうのが、もしかしたら「脳」の悪い側面かもしれないですよね。だけれども、そこで、やっぱり本当は、人体は自然なので、自然に立ち返れば、「良く生きる」っていうところに繋がってくるんじゃないかな。「天」が何を希望しているのかなっていうことは、「腸的な生き方」だと思うんですよね。

 

「大腸」っていうのは、面白いんですよ。「大腸・小腸」ってバランスをとるんですよ。「宇宙」と同じで、良いものと悪いものをよく「善玉菌・悪玉菌」って言うでしょ。善玉菌だけが多くてもダメみたいですよ。

 

なるほどね!ほどほどに悪もいないといけないっていうことなんですね。へ~良かったですね~(笑)

 

わたし、悪ですか??

 

いえいえいえ、やんちゃもされるということなんでね(笑)

 

善玉がいて、日和見(ひよりみ)っていう真ん中がいて、悪玉もいてっていうので、バランスがとれているそうなんですよね。悪玉だらけだと、おなか下しちゃったり、病気にもなるけれども、善玉ばかりでも、消化に不都合らしいです。そういった時に、自然に学びなさいって言った時に「腸」に立ち返るのが一番いいのかなって。

 

日和見が一番多いんですか?

 

そうです。日和見が一番多いと言われています。かといって、いろんなお腹の中のバランスがあるけれども、悪玉は悪でいいのか?っていうと、人間そのものをいい方にもってっちゃえっていうのが私の考え方なんですよね。よく「2対6対2の法則」っていうのがあるんですけど、「善玉が2で、真ん中が6で、悪玉が2」じゃあ、上だけをなんどかするとか、上と真ん中だけを教育するとかするとかっていう考え方は、私は、全くなくて、「2対6対2」全体を引き上げちゃおうっていうのが私の教育観なんですよ。後は、「分けない」可能性は、どこにあるか分からないから。こどもだって、役割かもしれないし、もしかしたら、今は「2対6対2」も人間が考えたことだから、それ自体も、何の役割で、どの科目かとか、運動会が得意な子もいれば、絵とか絵画が得意な子もいて色んな役割とか場面で、ただあなた、できますよ。できませんよって評価って、つまらないですよね。

 

ただ、世界はそのようになっているそうです。というのも、私、昔、蟻さんを飼っていたことがありまして、(蟻さん飼ったことありますか?ないです。)水槽の中に半透明のゼリー状のものがありまして、同じ巣から来た蟻を20匹くらいその中に入れるんですよ。そのゼリー状の物体というのは、餌でもあり、土の役割をしているので、蟻さん自身が巣をつくってくれるんですね。その働きをよ〜く見ていると、2割くらいの蟻さんは、めちゃくちゃ働きます。6割くらいの蟻さんは、働いたり、休んだり。2割くらいは、(蟻さんを飼うと面白いんですけど)遊ぶんですよ。何の役にも立たない。そういう蟻さんがいるんですよ。蟻さんもそうなんだ〜、ってことは、これは、宇宙の法則かもしれないし、ただ、その時の役割かもしれない。

 

それで、結構面白いのは、その中で蟻さんが亡くなったりしたら、蟻さんを埋葬するんですけど、蟻さんの数が少なくなってくると、今まで怠けてたのが、いつも怠けているわけではなくて、働き者が結構多く亡くなると、怠けていたのが急にやる気出したりするんですよね。逆に怠けたものがごそっとお亡くなりになると、意外と怠ける役割の人が出てきます。人じゃないな、蟻ですね。

 

なるほど〜、いつの時点で変化するか分からないから、全部底上げしようよ~みたいなイメージですかね?



イメージとしては、そんな感じですね。

 

なんかね、色々ハプニングがね、続出しつつでしたが、もっともっとお話を聴きたいな〜という感じなんですけども、また、次回いつか、ご出演頂くことはできますでしょうか?

 

いいとも~



ということで、今晩のかなぴょんと行く369旅、ゲストは、(東京都江戸川区松本幼稚園)大野正樹園長先生でした。園長先生、ありがとうございました。パーソナリティは、かなぴょんこと「愛の伝播士」大倉かなえ でお届けしてまいりました。それでは、来週火曜日まで、園長先生、アロハ~

 

アロハ~

 

皆さん、アロハ~

 

 

松本幼稚園ホームページ

https://matsumoto.ed.jp/

 

ヒトの教育の会ホームページ

http://hito-kyoiku.org/

 

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かなぴょんと行く369旅 (yumenotane.jp)

 

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